失敗の責任が集中する「美徳」のために「管理職」になりたがらないのだ

 

序章:報連相もM型ワークフローも「意味はある」

報連相(報告・連絡・相談)は、長らく日本企業のマネジメントの根幹を支えてきた文化である。「とにかく失敗を避けたい」という気質の中で、意思決定の遅延と引き換えに、リスクの分散や確認を徹底してきた。

そこに登場したのが「M型ワークフロー」だ。仮説→実行→報告→振り返りという流れを明示し、あいまいな報連相を“整理”しようという意図は、現場の実務フローとして非常に有効であり、歓迎すべきアイデアである。

だが、それでも何かが足りない。

本質的な変革は、“フレーム”ではなく“文化と設計”から生まれるというのが、私たちの問いである。


日本の管理職は、なぜ「なりたくない役職」になったのか?

報連相やM型フローの存在が、日本の職場から属人化・混乱を取り除いたかと言えば、そうではない。むしろそれらの「仕組み」を回すのが上司=管理職である以上、判断と責任は彼らに集中する。そして、それこそが現在の日本企業の構造的問題である。

以下の表をご覧いただきたい。

画像

責任は重い、裁量はない、しかも給料は上がらない。──これでは、誰も管理職になりたがらないのも無理はない。


属人性と確認文化が、すべてを止める

M型ワークフローを導入しても、その判断を下すのは結局“その上司”である。部下がいくら理詰めで仮説を立てても、「念のため確認しておく」「上がOKと言うまで動くな」となる。

なぜか?

失敗を許容しない文化が根底にあるからだ。

  • 「失敗=恥」

  • 「上司が部下を守るべき」

  • 「責任はすべて上が取る」

これらの“美徳”が、判断を遅らせ、共有の目的を歪め、意思決定を硬直化させる。


欧米企業との本質的な違い:失敗は資産

欧米の組織では、失敗は「仮説が外れた事実」でしかない。そして、そこから得られた学びを次に活かすことが評価される。つまり、失敗を恐れずに意思決定ができる環境と文化が、制度設計の段階で織り込まれているのだ。

  • 「誰が失敗したか」ではなく「何が失敗だったか」

  • 「成功した上司」ではなく「失敗から組織を進化させた上司」

  • 「情報を囲い込む者」ではなく「情報をオープンにする者」が評価される

こうした構造があるからこそ、属人性から脱却した、再現可能なプロセスが成立する。


日本企業に求められるアップデートとは?

では、どうすればいいのか。以下のような発想の転換が必要だ。

  • 目的の明確化:「何を共有するか」ではなく「なぜ共有するか」

  • プロセスの透明化:上司の“好み”や“経験”に依存しない判断フロー

  • 失敗の再定義:減点ではなく、仮説検証として捉える文化

  • 責任と判断の分離:管理職に責任だけ押し付けない制度設計

そして最も大事なのは、「報連相をやめろ」ではない。

報連相も、M型ワークフローも、あくまで手段にすぎない。問題は、その根底にある組織の価値観や設計にある。


終章:構造を進化させること、それが改革の本丸である

報連相やM型フローは、現場の整理に役立つ。だが、それを動かす人間の意識や文化、そして制度が旧来のままであれば、本質は何も変わらない。

判断を恐れる文化
失敗を許さない風土
形式主義と属人性のマネジメント

このような構造を温存したままでは、どんな「新しいフロー」も形骸化する。

必要なのは、「なぜ共有するか」という哲学の再設計であり、組織全体が「失敗を許容し、学びに変える」構造を持つことである。

そのとき初めて、報連相もM型フローも、単なる確認手続きではなく、進化する組織の“共通言語”になるのだ。


詳しく読む↓
報連相の整理・進化だけでは「管理職になりたくない」は変えられない(2025.8.4)

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